ちゃんと根拠はあるのかい?
おはようございます。小菅です。^_^
今日、明日と「離任式」が予定されている小・中学校が結構あるんですかね…。
うちの娘もその1人で今朝は久々に学校に向かいました。久々の学校は何だか大変そうでしたね。笑
さて、連日、新中3&新中2との「春期講習会」が続き、私も星先生も熱い、熱い指導を展開中です。笑
そんな中、私は新中2の生徒さんたちに連日、このことをしつこく言い続けています。
「その解答を導いた根拠はちゃんとあるのかい?」
例えば、英語や理科、社会の授業の際。必ず問題の中には「記号選択問題」が存在します。
英語であれば「本文中の内容に適するものを選びなさい」とか、社会だったら「このグラフから読み取れる内容として適切ではないものを選びなさい」などの問題ですね。
テスト本番は「正解か、不正解か?」がすべてにはなりますが、練習の段階では私はそこに重きは置いておらず、各生徒さんが「なぜ、その答えを選んだのか?」という自分なりの理由が言えないといけないと思っています。
だから、私は生徒さんに「なんで、その答えだと思ったの?」としつこく聞き、そこで「なんとなく…。」なんて答えが返ってくると、「そんな風に問題解いてると、いつまでもできるようにならないよ。」と厳しく話をするようにしています。
これは私が学生時代熱中していた野球もまったく同じでして、「なぜ、その配球をしたのか?」「なぜ、その作戦を選択したのか?」という場面は多々ありまして、そこには必ず明確な選択理由が存在しなければならないと私は思っています。(もちろん、その場の空気からなんとなくという感覚的なものもないとは言えませんが…。)
その根拠が正しい、正しくないかは別として、そこにきちんとした論理展開が存在しなければいつまで経っても「きちんと考えて、問題を解く」ということができないわけです。
そういうことをきちんとした上で間違えたならば、自分の論理展開のどこかズレていたのかを修正していけば良いわけですが、それをしていなければいつまでも経っても修正することは不可能です。
正解か、不正解かだけで喜んでいるうちはまだまだ甘い…。きちんと思考をして問題に取り組める生徒たちを育てたい。
そんな思いを持って私は日々の指導に努めています。
さあ、今日も気合を入れて行きますよ~!! それでは、また~!! ^_^