塾長メッセージ
保護者の皆さまに、ひとつお尋ねさせていただきます。
この度は私たちの教室のウェブサイトをご覧いただき、誠にありがとうございます。
さて、こちらをご覧いただいている保護者の皆さまに対して、ひとつお尋ねさせていただきたいことがあります。
「なぜ、お子さんに一生懸命勉強してほしいと思われるのですか…?」
言葉や表現は異なるかもしれませんが、おそらく全ての保護者の皆さまが共通してお子さんの将来を心配されていると思います。「将来、我が子に困ってほしくない。」「我が子を困らせたくない。」というお気持ちが背後にあるのではないかと思います。いかがでしょうか?
野球ばかりの毎日だった私にとって、人生に転機が訪れました。
私は中学生の頃、「野球が上手くなりたい。」「甲子園を狙える強い高校に行って野球を続けたい。」という夢を抱き、毎日野球の練習に励んでいた生徒でした。高校に入学してからは、「甲子園でプレーしてみたい」という目標のもと、さらに練習に打ち込む日々を送りました。この生活では、精神的・肉体的な余裕はまったくありませんでした。練習後の僅かな時間に宿題をこなすのが精一杯で、将来の目標はあるものの、目の前のことに追われる日々でした。
しかし、部活動を引退した後、自分を変える機会が訪れました。学習に力を注ぎ、希望の大学への合格を勝ち取りました。その後、私の人生を大きく変える出来事が起きました。それは、「塾講師になる」という出来事でした。姉の友人の紹介で、個人塾のお手伝いをする機会が巡ってきたのです。
私自身は塾に通った経験がなく、授業に関する知識も経験も全くありませんでした。しかし、強い気持ちだけがあったのです。「何とか目の前の生徒さんのお役に立ちたい!!」
学ぶことは、自分の人生を切り開くことと私は考えています。
最初は「塾講師」としての人生が始まってから、今年で「30年目」を迎えました。この長い旅の中で、多くの人々との出会い、経験、そして学びが私に訪れました。そして、学べば学ぶほど、自分は何も知らずに、何も学ぼうとしないで生きてきたことに痛感しました。
学生時代、私は「野球」に打ち込んできました。その経験と学びは、私の人生の中での「大きな支えと財産」となっています。しかし、その一方で「野球以外の世界」に目を向けることができなかったこと、そしてそれによって視野や価値観を狭くしてしまったこと、未来に対する真剣な考えや行動を怠ってしまったことに、大人になってから後悔の念がありました。
そんな経験から、塾の先生としてだけでなく、お子さんたちと接する際にも「自分ができることは全力でしてあげたい」という思いで、長年この仕事を続けてきました。
このページをご覧になっている保護者の皆さまも、お子さんに対して同じように熱い想いをお持ちだと思います。「我が子の将来を真剣に考え、一緒に頑張りたい」という願いがありますね。そして、その思いで私たちの教室を見つけ、検討されたのではないでしょうか。
お子さんがどんな環境で学び、どんな仲間や指導者と時間を共にするかによって、彼らの「考え方」や「物事の見方」、「価値観」が変わります。これらの変化が、日々の習慣、行動、そして最終的には結果に影響を与えると信じています。そして、これらの積み重ねが、自分の人生を切り開く手助けとなるのです。
私たちはお子さんにできることに全力で取り組みます。
お子さんが変化し、成長するお手伝いを全力でさせていただきます。どうぞお任せください。
もしここまでご覧になって「この教室なら期待できるかもしれない…」と感じていただけたなら、まずは「教室見学」または「無料体験学習」をお申し込みいただき、実際に私たちの教室が「我が子のための塾になり得るかどうか」をご検討いただければと思います。
そして、私たちの教室を選んでいただいた場合、確信を持ってお子さんの力になれることでしょう。「新しい出会いの日」と「共に力を合わせて努力する日々」が訪れることを心からお待ちしております。
進学塾FLY-HIGH
塾長 小菅 裕昭
塾長プロフィール
福島県郡山市出身 / 学生時代は野球部に所属(高校時代は当時県内の強豪の1つと言われたチームで主将・3番バッターでした。)
<資格等>
- 日本プロカウンセリング協会認定 1級カウンセラー
- 放課後児童支援員 認定資格研修終了
- Microsoft office Specialist Word&Excal 上級試験合格
私自身、現在、高3の息子と中1の娘の父親として子育て奮闘中!
興味があることはジャンル問わずにいろいろと挑戦する方ですが、「運動をすること(近年はゆっくりと長時間泳いだり、走ったりすること)」「料理をする」のは長年に渡って好きなことです。
塾長 年表
高校3年生(冬) | 大学進学を決め、アルバイトを探していた際、姉の友人からある個人塾の講師になることを勧められました。最初は「塾に通ったこともない自分が勉強を教えるなんて…」と乗り気ではありませんでしたが、塾長の話を聞くことにしました。 当日は、「今日は話を聞くだけでいい」と言われていましたが、驚くことに当日と翌日にはいきなり授業を実施することになりました。授業後、生徒さんから「すごく分かりやすかったよ。また、来てくれるんだよね?」という言葉を聞き、感動しました。それがきっかけで、講師になることを決意しました。 |
大学在学中 | 個人塾のお手伝いのかたわら、近所の高校生や知人の子供に家庭教師を始める。 ほぼ毎日、授業と野球の練習、夜は塾講師や家庭教師の生活を送っていました。 |
大学4年 | 大学で学んでいたエンジニアの世界ではなく、教育の世界で生きる決断をしました 研究室の教授が、「塾の先生なんていつでもなれるだろうに…」と軽視的に言った言葉を背中に、塾講師の道を選びました。 |
1998年 | 郡山市・いわき市で複数の学習塾を運営していた塾に入社し、郡山市内の全教室で日替わりで授業を担当するようになりました。 |
1999年 | 入社2年目に郡山本部教室の教室責任者となりました。責任ある仕事を任され、とてもやりがいを感じていました。 |
2005年 | 本部教室を担当しながら、富久山教室のマネジメントも任されるようになりました。 |
2007年 | 長らく担当してきた本部教室を離れ、富久山教室の責任者として、お子さんたちの指導に専念 |
2020年 | お子さんたちとの時間をより多く割くことを強く望むようになり、会社から独立を決意。 塾長と円満に話し合い、これまで熱心に運営してきた富久山教室をそのまま引き継ぐ形で独立が決定。 |
2021年 | 「株式会社FLY-HIGH」を設立し、教室運営がスタート。 |
2022年 | 「お子さんが高く飛躍できるように!!」という願いを込め、教室名を「進学塾FLY-HIGH(フライハイ)」に変更し、現在に至っています。 |